どうも、大阪で古着屋を経営してる佐藤健一です。
いやー、今でこそ「佐藤さん、よう成功しはりましたな」「組織作りのコツ教えてくださいや」なんて言われることも増えましたけど、正直に言うと、僕にも思い出したくない黒歴史があるんですわ。
それは、スタッフが一斉に辞めてもうて、3店舗あった店にポツンと一人ぼっちになった地獄のような日々。売上も大事やけど、「人」がおらんようになったら、ビジネスは一瞬で崩壊する。今日は、僕がどん底で学んだ「ほんまに強い組織の作り方」について、格好つけんと全部お話ししようと思います。
今、スタッフとの関係で悩んでる経営者さん、店長さん。きっと、この記事が何かの役に立つはずやから、まあ、ちょっと聞いてってください。
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目次
【地獄の始まり】「明日から、来ません」悪夢のような電話
順風満帆だと思い込んでいた日々
あれは2013年のことでした。当時、僕は大阪市内に3店舗の古着屋「RETRO STYLE」を展開して、年商も2億円近くまで伸びてました。雑誌にも取り上げられて、正直、天狗になってたんは否めません。「俺のやり方で間違いない」「このままイケるやろ」って。
毎日、朝から晩まで3店舗を駆けずり回って、仕入れからディスプレイ、売上管理まで全部自分でやらんと気が済まへんかった。スタッフには「あれやっといて」「これやっといて」と指示を出すだけ。彼らがどんな想いで働いてるかなんて、考えたこともありませんでした。
一本の電話から始まった崩壊劇
そんなある日の夜、店のレジを締めてたら、一番信頼してたA店の店長から電話がかかってきたんです。「佐藤さん、すいません。明日から、もう行けません」。
頭が真っ白になりましたわ。「は?どないしたん?」「なんかあったんか?」って聞いても、「すいません」の一点張り。理由も言わずに電話は切れました。
悪夢はそれだけやなかった。次の日の朝、出勤したらB店のスタッフ2人から「一身上の都合で辞めさせていただきます」って書かれた退職届が机にポツンと置かれてて。さらにその日の昼には、C店のアルバイトからも「辞めます」と連絡が…。
たった2日間で、僕の店から店長格を含めて5人のスタッフが一斉にいなくなったんです。
店に残されたのは、膨大な仕事と絶望感だけ
気づけば、3つの店を僕と、事情を知らん数人のアルバイトだけで回さなあかん状況になってました。朝8時にA店を開けて、昼はB店に顔出して、夜はC店の締め作業。寝る間も惜しんで働きました。
でも、一人でできることなんてたかが知れてる。商品はぐちゃぐちゃ、掃除も行き届かん、SNSの更新も止まる。常連さんにも「最近、店荒れてるで」「佐藤さん、顔死んでるやん」って心配される始末。
深夜、誰もいない店で一人、売れ残った服の山に囲まれながら、賞味期限切れのコンビニ弁当をかき込む毎日。「なんで俺がこんな目に…」「あいつらは裏切り者や」。怒りと悔しさで、涙が止まりませんでしたわ。正直、店を全部畳んでしまおうかとも思いました。あれは、僕の人生で一番の地獄でしたね。
なぜ彼らは去ったのか?ワンマン経営者が犯した致命的な過ち
地獄のような日々の中で、僕はずっと「なんでや?」って考えてました。給料だって、業界水準よりは少し高めに払ってたつもりやし、店の業績も良かった。なんで、みんな一斉に辞めてしまったんやろう?
答えは、僕自身にありました。完全に「ワンマン経営」の罠にハマってたんですわ。
「俺が一番わかってる」という傲慢
僕は何でも自分で決めないと気が済まへんかった。「仕入れは俺のセンスが一番」「ディスプレイはこの配置が正解」と、スタッフの意見に耳を貸そうともしませんでした。
彼らが「こんな商品どうですか?」って提案してくれても、「そんなん売れるかいな」と一蹴。完全にイエスマンだけを周りに置いて、裸の王様になってたんですね。
スタッフを「駒」としか見ていなかった
今思えば、僕はスタッフのことを「自分の店を動かすための駒」としか見ていませんでした。彼ら一人ひとりに人生があって、夢や目標があるなんて考えたこともなかった。
ただ「時給分の働きをしろ」「指示通りに動け」と。彼らの成長やキャリアなんて、これっぽっちも考えてへんかったんです。
感謝も対話もない、ただの指示命令系統
「ありがとう」「助かるわ」そんな当たり前の言葉を、僕はほとんど口にしていませんでした。 ミーティングを開いても、僕が一方的に喋るだけ。
彼らが何を考えて、何に悩んでいるのか、知ろうともしなかった。コミュニケーションが完全に一方通行やったんです。
そら、辞めますわな。人はお金だけで働くわけやない。自分の存在を認められて、成長できる実感があって、この場所で頑張りたいと思える「やりがい」が必要なんです。僕は、その一番大事な部分を、完全に見落としてました。
一人ぼっちの店で気づいた、本当に大切なこと
心も体もボロボロになって、店を続ける自信も失いかけてた時、僕を救ってくれたのは、二つの出来事でした。
常連さんの「無理すんなや」に救われて
ある日、ヘロヘロになりながら店番をしてたら、昔からの常連のおっちゃんが来て、「社長、これ飲みや」って栄養ドリンクを差し出してくれたんです。「一人で大変やろうけど、無理すんなや。俺ら、この店好きやから、ちゃんと待ってるで」って。
涙が出ましたね。ああ、俺は一人やないんや、と。この店を好きでいてくれる人がいる。その人たちのために、もう一回頑張らなあかん、と心から思いました。
残ってくれたバイトの子の涙
もう一つは、大量離職の中でも辞めずに残ってくれた、一人の大学生アルバイトの女の子の言葉でした。僕が「もう店、閉めようと思うねん」と弱音を吐いたら、彼女、目に涙を浮かべてこう言ったんです。
「嫌です。私、このお店が好きなんです。もっとお店のこと、佐藤さんと一緒に考えたかったです…」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃でした。俺は、この子の「一緒に考えたい」という気持ちを、ずっと踏みにじってきたんや、と。彼女はただのアルバイトやない。店の未来を真剣に考えてくれる、大切なパートナーやったんです。
この二つの出来事で、僕はやっと気づきました。ビジネスは、売上や利益の数字だけやない。結局は「人」と「人」との繋がりなんや、と。お客様との繋がり、そして何より、一緒に働いてくれる仲間との繋がり。それを失ったら、何も残らんのやと。
ゼロから始める組織再生プロジェクト!僕が実践した4つのステップ
僕は店を畳むのをやめて、残ってくれたアルバイトの子と二人で、組織の再生に取り掛かりました。まさにゼロからのスタートです。僕がやったことは、難しい経営理論やない。当たり前やけど、今まで全くできてへんかった4つのことです。
ステップ1:想いを言葉にする「理念の共有」
まずやったんは、「俺たちは、何のためにこの古着屋をやってるんか?」を改めて考えることでした。そして、それをちゃんと言葉にしたんです。
「RETRO STYLEは、ただ古い服を売る場所やない。一着一着に込められた物語をお客様に繋ぎ、その人の新しい物語を応援する場所なんや」
この想いを、新しく入ってくれるスタッフ全員に、僕自身の言葉で熱く語りました。 目先の売上やなく、この大きな目的のために一緒に働こう、と。すると、ただの作業やった品出しや接客に、「意味」が生まれるんです。スタッフの目の色が変わるのが分かりました。
ステップ2:「任せる勇気」を持つ権限移譲
次に、僕の「俺が全部やらな」という考えを捨てました。これは正直、勇気がいりましたね。でも、思い切ってスタッフに仕事を任せてみたんです。
- 仕入れ同行とバイイングの一部委任
- 各店舗のSNSアカウントの運営
- ディスプレイやイベントの企画
もちろん、最初は失敗もありました。でも、「なんであんなことしたんや!」と怒る代わりに、「なるほど、そういう考え方もあるんか。次はこうしてみようか?」と一緒に考えるようにしたんです。失敗を許容することで、スタッフは自分で考えて行動するようになっていきました。
ステップ3:魂の通う「コミュニケーションの仕組み化」
一方通行のコミュニケーションをなくすために、仕組みを作りました。
- 週1回の店舗ミーティング: 売上報告だけやなく、「今週一番嬉しかったお客様とのエピソード」や「ここを改善したらもっと良くなると思うこと」を全員が話す時間を設けました。
- 月1回の個人面談: 僕とスタッフが1対1で話す時間です。仕事の話だけやなく、「最近、プライベートでハマってること」とか「将来どうなりたい?」みたいな雑談も交えながら、一人ひとりのことを深く知る努力をしました。
大事なのは、社長が一番の「聞き役」になること。 これを徹底したら、現場の問題点や改善のヒントがどんどん出てくるようになりました。
ステップ4:頑張りが報われる「透明な評価制度」
何を頑張れば評価されて、給料やポジションに繋がるのかを明確にしました。
評価項目 | 具体的な指標 |
---|---|
売上貢献 | 個人売上目標の達成率 |
顧客満足 | お客様からの感謝の声、リピート率 |
チーム貢献 | 新人教育への関与、改善提案の数と質 |
自己成長 | 資格取得、スキルアップへの挑戦 |
このように評価基準をオープンにすることで、スタッフは何を目標にすればええか分かるようになるし、僕も公平な評価ができるようになりました。頑張りがちゃんと報われる環境は、モチベーションに直結しますからね。
もう二度と失敗しないための3つの心得
この地獄の経験から、僕は経営者として大事な3つの心得を胸に刻んでいます。
心得1:社長は「聞き役」に徹する
社長は一番喋りたい生き物です(笑)。でも、ぐっと堪えて、スタッフの話を聞く。彼らの言葉の中にこそ、ビジネスを成長させるヒントが眠っています。
心得2:完璧な人間なんておらん。失敗を許容する文化を作る
スタッフが挑戦して失敗した時、それは組織にとって財産です。失敗を責めるのではなく、「ナイスチャレンジ!」と言える文化を作ること。それが、スタッフの主体性を育てます。
心得3:「家族」ではなく「プロチーム」を目指す
よく「アットホームな職場です」って言いますけど、僕はちょっと違うと思ってます。仲が良いのは素晴らしいこと。でも、馴れ合いになったらアカン。僕たちは、同じ目標に向かってそれぞれの役割を全うする「プロのサッカーチーム」のような集団であるべきや、と。尊敬と適度な緊張感がある関係が、一番強いチームを作ると信じています。
まとめ
スタッフの大量離職。あれは、僕の経営者人生における最大の失敗であり、最高の学びの機会でした。
あの時、一人ぼっちの店で感じた絶望感があったからこそ、僕は「人」の大切さを骨の髄まで理解できたんやと思います。強い組織っていうのは、カリスマ的な社長が一人で引っ張っていくもんやない。スタッフ一人ひとりが店のことを「自分ごと」として捉え、主体的に動ける集団のことなんやと。
今、この記事を読んでくれているあなたが、もし過去の僕と同じように人材のことで悩んでいるんやとしたら、伝えたいことがあります。
一人で抱え込んだらあかんで。
まずは、今いてくれるスタッフの目を見て、話を聞いてみてください。「いつもありがとう」の一言からでええんです。きっと、そこから何かが変わるはずです。
失敗は成功の母、なんて使い古された言葉やけど、ほんまにその通り。僕の黒歴史が、あなたの会社の未来を明るく照らす、小さな光になれば、これ以上嬉しいことはありません。
一緒に頑張りましょう。応援してます!